2015年06月17日

韓国のMERSのアウトブレイクについて。WHOを信じれば、今後は、それなりに楽観的です。



という話。

韓国でMERS (Middle East respiratory syndrome coronavirus )のアウトブレイクがあった。えらい騒ぎだ。それで


Middle East Respiratory Syndrome (MERS) in the Republic of Korea

http://www.who.int/csr/disease/coronavirus_infections/situation-assessment/update-15-06-2015/en/#


というWHOのレポートを読んだ。ものすごく省略して要点を言えば、そんなにやばい状況ではなさそうだと。


(1)今年の5月20日に中東にいった一人の男性が、MERSに感染していたことが判明。隔離。

(2)この男性が受診した医療機関で感染拡大。感染拡大は、医療機関内だけで限られており、現時点で、全ての感染例は、この男性にまでさかのぼれる。一般人口の中にMERSが入り込んでいることは確認できていない。

(3)アウトブレイクしたMERS-CoVウイルスを調べてみたが、中東でのアウトブレイクのものと同じだった(もっと凶悪な病原体に変異したとか、そんなんは無さそう)。


ということ。理屈上、

@現在の比較的少数の感染者からの他への感染を防ぐ。

A医療機関内だけで感染拡大している→医療機関内での感染防御の徹底。


の2つをやっていれば、そのうち終息することになるんだろう。ただし


All outbreaks are unpredictable. This is especially true for a comparatively new disease like MERS, where so much about its epidemiology, modes of transmission, natural history, and clinical features remains poorly understood.

(すべてのアウトブレイクは予想がつかない。MERSのような比較的新しい感染症では、とくにそうだ。MERSはその疫学も、感染方法も、自然歴も、臨床的な特徴も、わずかしか分かっていないままだ。)


と結んでいる。こういう怖いフラグ立てないでくださいよ。


2013年のNew England Journal of Medicine の記事

Hospital Outbreak of Middle East Respiratory Syndrome Coronavirus.

によると、やはりこのときのMERSのアウトブレイク も病院内で感染拡大したとある。とくに、透析室で感染が拡大した。透析ということは、感染経路が、血液を介した伝播なのだろうか。

(それとも、単に免疫能が低下した透析患者に感染しやすかっただけなのか)。


2013年4月1日から5月23日の間にサウジアラビアで確認された23例のうち、6月12日の時点で、死亡したのが15例(65%)、回復したのが6例(26%)、まだ入院中が2例(9%) と。

死亡率65% はすごいな。


この記事を、自分が覚えておきやすいようにまとめると「熱が出ていて呼吸器症状と腹部症状のある、中東に渡航歴のある人」はMERSの疑いがあるということか。しかし、上気道からのサンプルでは偽陰性になりやすく、病状がすすまないと検査が陽性にならないとか。なんともやっかいな。


で、WHOの

Middle East respiratory syndrome coronavirus (MERS-CoV)

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/mers-cov/en/


によれば、死亡率は36% とややおとなしい数字になっている。36% でもすさまじいが。


重複になるけど、MERSは

There have been clusters of cases in healthcare facilities, where human-to-human transmission appears to be more probable, especially when infection prevention and control practices are inadequate. Thus far, no sustained community transmission has been documented.

(医療機関内で症例が集積している。とくに、感染防御や感染コントロールのやりかたがまずい場合には、医療機関内では、ヒト - ヒト感染がおこりやすい。これまで、市中での持続した感染伝播は報告されていない。)


とある。やっぱりMERSの人から人への感染経路は、血液経路じゃねーの。病院の中だけでし感染伝播がなくて、透析室で感染拡大したんであれば。根拠のあまりない素人の推理ですけど。


現時点でのauthorityのある機関と学会誌から判断してみて、韓国の一般社会でMERSが感染大爆発、というのも起こりそうにないし、ましてやその影響が隣国の我が国にまで波及するとは思えない。


ニュースをみてて思うのことだが、病的なのは、MERSそのものより、それをとりまく韓国人の社会政治認識の方か。こんな限りなく事故に近いような一件でも、アイツが悪い、コイツが悪いになってるのが、なんとも・・・。


診断が難しく、予想も難しく、症例も少ない、そもそも良くわかってない致死的病原体が、なぜか蔓延したってのは事故以外の何物でもないと思うんだが。

posted by ペンギン太郎 at 18:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

ロアル・ダールの “Death of an Old Old man.” を読んだ。「彼の頭の中にはこれから始まる戦い以外には、何も無かった。」


フィクションであれノンフィクションであれ、英米圏の読み物や創作物を読んで感じるのは登場人物の行動力と勇気の賞揚である。そして、その行動力と勇気は、筆者の行動力と勇気でもある。つまりは強烈なナルシシズムなんだけど、これにあてられて劣等感を持つ日本人は、自分だけではないと想像する。

例えば、ハリー・ポッターを見よ。彼は屈しない。あきらめない。絶望的な状況でも最期まで行動する。しかも、彼にとって、勇気はごく自然に湧いてくるような、当たり前の物なのだ。

Dr.House というドラマもあるが、主人公のハウス医師だってあきらめない。最期まで行動する。患者や同僚との軋轢も恐れない。自分の身が危うい状況も恐れない。そして、一面では不愉快な程の、主人公の行動(非倫理的な場合もあるが)と勇敢さが、最終的には、患者を救う鍵になる。

日本の少年漫画にしろ成人の読み物にしろ、こういうストレートな行動力と勇気の賞揚が、まっったく無い。
なぜか。それは、創作している作者や製作者、ひいては日本人である我々には、行動力や勇気が圧倒的に足りないからだ。

というのが前振り。で本題。

ロアル・ダールの”Death of an Old Old man.”を読んだ。
前半が一人称「わたし」、後半が三人称「彼」になっている。

第二次世界大戦中の英国。主人公「わたし」は、戦闘機パイロットだ。ドイツとの戦争で、数々の修羅場をくぐり抜けてきた勇者なのだが、彼は恐れていた。背後から、ひたひたと迫ってくる「それ」、つまり死を。
4年前は、恐れていなかった。しかし、今は、恐ろしい。とてつもなく恐ろしい。

そして、戦闘機(スピットファイア)に乗って出撃した「わたし」は地上を眺めながら考える。

I don’t want to die. Oh God , I don’t want to die. I don’t want to die today anyway. And it isn’t the pain. Really it isn’t pain; I don’t mind having my leg mashed or my arm burnt off. I swear to you that I don’t mind that. But I don’t want to die.
(死にたくない。ああ神様、死にたくない。とにかく、今日は死にたくないんだ。それは痛みの問題じゃない。痛みなんかどうでもいい。脚がつぶれようが、腕が焼け落ちようが、気にするもんか。誓って言うが、そんなことはどうでもいいんだ。自分は、死にたくないんだ。)

ロアル・ダールは、戦闘機パイロットとして第二次世界大戦に従軍している。この感覚は、全くの想像で書いたものではないと思う。だとすれば、戦場で感じる現実というのは、どれだけの極限状態なのか・・・。

が、人間らしい弱さが吐露された前半部は、後半部の語り手が「わたし」から「彼」の三人称に変わることで一気に覆される。
主人公は敵ドイツ戦闘機(フォッケウルフ)に見つかってしまう。逃げ場はない。戦うしかない。この決意の瞬間、主人公は豹変するのだ。

There was no thought in his head now  save for the thought of battle. He was no longer frightened or thinking of being frightened. All that was a dream, and as as sleeper who opens his eyes in the morning and forgets his dream, so this man had seen enemy and had forgotten that he was frightened.
(彼の頭の中には今、これから始まる戦い以外には、何も無かった。彼はもう、自分が恐れていることも、恐れていると考えることもなかった。全ては夢だった。眠っている人間が、朝、眼をあけたときに見ていた夢を忘れるように。彼は、敵を見続けた。そして、恐れていたことなど忘れてしまっていた。)

彼はもう、死を恐れていなかった。頭にあるのは、これから、どうやって戦うか、と敵ドイツ戦闘機を倒すことだけである。経験と勇気とパイロットの本能で、戦闘機と一体化した主人公は、敵ドイツ戦闘機と壮絶な死闘を繰り広げる。しかし、敵は強い。とてつもなく強いのだ。そして・・・。

結末までは書かないが、本当に感嘆のため息がでる。特に

There was no thought in his head now  save for the thought of battle.
(彼の頭の中には今、これから始まる戦い以外には、何も無かった。)

の一文は凄まじい。かっこ良すぎる。こういう、ストレートな勇気、やせ我慢でも無理でも何でもない、ごく当たり前に、自然に発揮される勇気というのには本当に憧れる。

自分にもこういう勇気が欲しいと、本当に心の底から思った作品だった。
こういう感覚が、自分にとっては、英米圏の作品に触れた時に感じる劣等感なのだ。
posted by ペンギン太郎 at 23:30| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月07日

川崎市の少年犯罪について。未成年を狙う犯罪加害者は、未成年だった。アメリカでは、終身刑となった未成年殺人者は、更生プログラムに参加させない!



という話。


川崎市で痛ましい事件が起こった。中学一年の少年が無残に殺された。

色々な意見はあると思う。いろいろ調べてみたものの、なんだか今回はすっきりしないような・・・。


個人的な意見。

加害少年達の更生は、おそらく無理であろう。更生という言葉が持つ曖昧性を排除し、実際にこの社会で、社会人として生きていくことが可能かと言えば、私は無理だと思う。

社会人として生きていくいうことを、労働の対価としてお金を得て、納税して自分で生活していくことだと、さらに具体的に絞れば、まずほとんど不可能に近いと考える。


更生を訴える方々に言いたい。彼ら更生プログラムを受けて社会復帰することを、今後の目標として設定したとしよう。


リスクとコストを、どこかの誰かに丸投げしてませんか?

@あなたが経営者だったらば、彼らを雇いますか?

A彼らが介護の仕事についたとしよう。自分の親を、任せようと思いますか?

B彼らがベビーシッターになったとしよう。自分の子どもを彼らに任せようと思いますか?

C部下になったら、仕事を任せますか?彼らの過失を起こした場合に、責任をとりますか?

D銀行家だったら、お金を貸しますか?

E彼らが独立事業主になった場合に、信用して契約を結びますか?

F責任をもって、どこかに推薦する場合に、あなたは推薦状を書きますか?


私は、これらの質問に全てノーだ。当たり前の話だが、@からFの質問の中のどれかに対して、どこかの誰かがイエスと答えない限り、彼らの社会復帰は無理なのだ。

過去の過失が、少年法という法律で隠ぺいされた状態にあると考えて、もう一度、上の質問を見て頂きたい。年少者を惨殺した加害者に対して、それを知らずに@からFの質問に対してイエスと答えたとしよう。後からそれを知らされたとして、不当なリスクを負わされたと考え、憤りを感じない人は、一体どれだけいるのだろう


人権尊重を訴える人の論点の矛盾はここにある。自分は被害を蒙らない気楽な立場で、どこかの誰かにリスクとコストを押し付ける。所詮は他人事、であればこその理想主義なわけだ。そんな無責任な理想主義をかかげるくらいなら、無理なもんは無理だと言った方が私はましだと考える。自分は安全で守られたところにいながら、他者には危険で実現困難、かつ具体的なメリットも少ない理想主義を圧しつけたスターリンや金日成という人物が過去にいたという教訓を、よくよく考えてみよう。


が、上村さんを惨殺した加害者が社会復帰したとして、@からFまでの質問にイエスと答えられる人がいたらば、本物の理想主義者だ。その志は十分、賞賛に値するだろう。


で、以下は調べたこと。

アメリカでは、未成年でも凶悪犯罪を犯した者は、仮釈放なしの終身刑になるそうだ。


The Lives of Juvenile Lifers:Findings from a National Survey.


という2012年の文書によると、


Most (61.9%) juvenile lifers are not engaged in programming in prison,but this is generally not due to lack of interest, but because of state or prison policies.


とあり、6割以上が厚生プログラムを受けていないそうだ。厳しい話だが、さすがはアメリカ・・・。どうせ出所しないんだから、再犯防止の更生プログラムなんて無駄でしょ!!合理的でしょ!!ということなんだろうか。


Fewer than half (46.6%) of these individuals had been attending school at the time of their offense;


ともある。半数以上が、犯行時の時点で、学校に全く行ってなかったとか。不登校は少年犯罪のリスクということか。確かに親の監督が不十分で、学校からの監視もなければ、どこで何がおこってんのかなんて、本人以外は誰にも分からない。その状態で、不幸な偶然が重なれば、今回みたいな事件が起こるのかもしれない。未成年は学校に行かなきゃだめだ!!


で、国際連合が出してる。World youth report 2003年の文書を読んでみた。Jevenile Delinquency という章。もっと新しい年度のもあったんだが、読み終わってから気が付いたんだぜ。


The results of a number ofstudies indicated that the victims of violent crimes committed by juveniles were mostly other juveniles.(199ページ)

(多くの研究の結果、未成年による暴力犯罪の被害者も、だいたいが未成年であることが示された。)


とある。つまりは、子どもを暴力犯罪から守るためには、他の未成年に注意せよ。ということだ。罪の無い成人を不審者扱いして必死に監視している場合じゃない。未成年を監視しないと(監督のほうが言葉としては良いだろうか)、子どもは守れないのだ。


で、少年犯罪の再犯防止の方法としては何があるのか、と言えば・・・。

In practice, many prevention approaches have proved ineffective.(205 ページ)

(実際、多くの再犯防止のための方策は、意味がないことが証明されている。)

とある。うーむ。


少年犯罪の背景としては、未成年の経済的社会的苦境、都市化、文化的な背景、メディアの影響、社会的な機会からの排除、等がある、とある。犯罪加害者個人のレベルでの努力じゃなく、これらの是正を考えよう、ということが言いたいのだと自分は感じた。


特に、下記は考えさせられた。長いが引用。194ページ。


In both developed and developing countries, consumer standards created by the media are considerably beyond the capacity of most families to achieve.Nevertheless, these ideals become a virtual reality for many young people, some of whom will go to great lengths to maintain a lifestyle they cannot afford. Because not all population groups have access to the necessary resources, including education, professional training, satisfactory employment and income, health services, and adequate housing, there are those who are unable to achieve their goals by legal means. The contradiction between idealized and socially approved goals and the sometimes limited real-life opportunities to achieve them legally creates a sense of frustration in many young people.

(先進国にとっても発展途上国にとっても、メディアがつくりだす消費者の標準的な姿は、殆んどの家族にとって遠く手の届かないものだ。それにも関わらず、これらの理想的な姿は、若い人々にとっては仮想的な現実となる。彼らの中の幾人かは、手の届かないライフスタイルを維持するために労を厭わないだろう。全ての人々にとって必要な教育、職業訓練、満足する雇用と収入、医療、住宅環境を含む必要な資源を手にする方法が開かれているわけではない。合法的な手段でもって、メディアのつくる仮想現実というゴールには達しない人々がいる。理想化されたゴールと社会的に許されたゴールの違い、そして、時としてそのゴールに合法的に達するための機会が現実世界で制限されていることで、多くの若者が、不満に陥るのだ。)


で、犯罪に向かうと。確かに。言われればそんな気もするな。


青春ものはたいてい舞台が進学校である。主人公は、おしゃれな家に住んでいる。両親は甘くうるさいことも言わないのに、なぜか優等生である、友達もいっぱいいる。異性からも人気があって・・・。

でも・・・やっぱり・・満足できない。大好きなあの子とつきあいたい!!


こんな作品をたくさん作りだしているメディアの方々に、未成年犯罪の責任はあった!!

(笑)とか言ったら怒られるのだろうか。


どう考えたって、メディアのつくる青春とかの標準像と、大多数の未成年の生きる現実は大きく乖離してるわけである。それを相対化できればいいけど、自分の過去をふりかえっても、それが結構難しかったりするわけだ。「なんで自分はこんなに恵まれてないんだー!」みたいな。昔は思ってたなあ。


で、自分の中では、こんなくだらねーもん見てストレスためるよりは、見なければいいや、という結論になった。以来、テレビは15年以上、ろくに見ていない。読む本は古典とノンフィクションに限ることにした。


まとまってないが、今回はこれで。

posted by ペンギン太郎 at 18:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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