2015年07月27日

ジェネリック医薬品の使用で減らせる医療費は約1兆円。TPP交渉の結果、ジェネリック医薬品が使えなくなる恐れがある。そうなれば、浮く筈の約1兆円は、どこの誰が払ってくれるの?



という話。


今年の7月16日号のNew England Journal of Medicine (これまでの記事で普通に使ってたけど、医学界で最も権威のある雑誌である)にあった


The Trans-Pacific Partnership - Is it Bad for Your Health?


という記事があった。ものすごく短く要約すると、TPP 交渉の結果、ジェネリック医薬品がもう使えなくなるかもしれない。ヤバいぜ! ということ。


そもそも、ジェネリック医薬品とは何か、と言えば、特許が切れた先発医薬品を、その薬を開発していない他の会社がつくった後発医薬品のことである。値段が安いのが最大のポイント。

読売新聞大阪本社が出した「これでわかる!医療のしくみ」(2011年)という本によれば、特許の切れた医薬品をすべて後発医薬品にすれば、年間約1兆円の医療費を減らせるらしい。


省庁の文書でも、ジェネリック医薬品の使用拡大が医療費抑制のために必要、と明記されている。平成24年7月にでた厚生労働省の「ジェネリック医薬品への疑問に答えます。〜ジェネリック医薬品Q & A〜」 というパンフレットにはこう書いてある。


医療技術の進歩や高齢化等により、今後も医療費の上昇が見込まれる中、国民皆保険を堅持していくためには、必要な医療を確保した上で、効率化できる部分は効率化を図ることが重要です。


で、そのためにはジェネリック医薬品の使用拡大が必要であるというわけである。


平成27年4月に出た財務省の「社会保障」という文書には、平成29年度内にジェネリック医薬品の使用を80%にすると数値目標まで書いてある。そのためのインセンティブとして、既にあるのは診療報酬の優遇措置、将来的には、先発品を選んだ患者にはジェネリック医薬品の差額を全額負担させる、という改革案まで書いてあった。

要するに、厚生労働省も財務省も、医療費抑制のためジェネリック医薬品をどんどん使え、と言っている。ちなみに、アメリカではジェネリック医薬品の使用割合は約90%(2010年)に対して、日本はまだ46.9%(2013)である。


ところが、TPP (Trans-Pacific Partnership) の交渉次第では、ジェネリック医薬品が締め出されて使えなくなるとか。The New York Times にあった今年1月の記事


Dont  Trade Away Our Health .


という記事。著者はノーベル経済学賞をとったスティグリッツ教授。TPPは秘密交渉なので、内容を正確に知ることは不可能だが、リークされた情報から、おそらく


@ジェネリック医薬品の販売自体を制限する

A政府の薬価規制をやめさせる


方法で、今後、TPP参加国では、ジェネリック医薬品の使用に大幅な制限がかかる可能性が高い、としている。


Big Pharmas profits would rise , at the expense of the health of patients and the budgets of consumers and governments.

(巨大製薬会社の利益は上がるだろう。患者の健康と消費者および政府の予算を犠牲にしてだ。)


だそうな。


で、大手製薬会社が、安価なジェネリック医薬品との競争で消耗すれば、新規の医薬品開発やイノベーションが、出来なくなるという反論には、@製薬会社は開発費より広告費とかマーケティング費用の方が多いA政府や基金がスポンサーの大学や研究所で、重要な開発イノベーションで成された(製薬会社ではない)と答えている。

ノーベル賞取れば、なんでもありだな。こうズバッと言う人はなかなかいないような。


TPP交渉は秘密なので、公開されるまで分からないのだが(実に反民主主義的なやり方だ。一部の人間が、社会経済上に非常にインパクトの大きいルールを国民に内緒で勝手に決めているのだ)、もしもこれが本当ならば、これまでの医療費抑制の切り札的な政策の一つが崩れ去る。


自分としては疑問なのだ。TPPの締結で、ジェネリック医薬品の大幅な使用制限、市場からの締め出しが現実のものとなったとしよう。

そしたら、ジェネリック医薬品の使用拡大で浮くはずの莫大な医療費、つまり、最大約1兆円というカネは、一体どこの誰が負担するのだろう?

医療費抑制という、錦の御旗はどうなってしまうのだろうか?

これまでのジェネリック医薬品拡大を推進してきた政府は、国民にどう説明するのか?


個人的な意見。

これまで、ジェネリック医薬品の安全性とか使用の是非についてはあえて書かないで議論をすすめてきた。というか、本当ならば、ジェネリック医薬品の導入前に、安全性についてもっと時間をかけて検討してほしかったよ。こんなことになる前にだよ!


今後、ジェネリック医薬品の安全性についての記事や言及があったとしても、上に書いたような経緯がある以上、信用に値しないと自分なら考える。


「ジェネリック医薬品は危険だ!」


という人間がいたとして、そいつが@TPP締結にからんだ大手製薬会社のadvocate なのか、ATPP締結に関わった政府の御用学者なのか、それともB善意の科学者なのかを見分けるのは、もはや不可能なのだ。


これまでのジェネリック医薬品の使用拡大政策を無かった事にしつつ、TPP締結をスムースにやるには、ジェネリック医薬品が安全じゃない、ってことにするのが一番だよな。安直に考えれば。

posted by ペンギン太郎 at 19:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月11日

本を読むことの重要性について。


最近、佐藤優先生の本を読んでいる。
そして、本を読むことは重要なのだな、と再認識した。

「人生の極意」

という本を読んだ。佐藤先生が、相談者の悩みや疑問に対して実に誠実に答えていくという本である。佐藤先生は、本当にすばらしい人だと思う。例えば、

Q.医学部を目指して十浪している弟がいます。
A.弟さんが合格する可能性はゼロです。

Q.弁護士になって「赤線」を復活させたい。
A.司法と立法を区別できてない時点で問題外。
あなたの場合、法科大学院に進んでも司法試験に合格する可能性はほぼないと思います。

こういうことが言える人が誠実で、自分の発言に責任を持てる人なのだろう。
この種の質問をされたとき、相手を傷つけまいとか、怒らせないように、と思って「がんばれば、夢はかなう」みたいな嘘をついてしまうこともある。相手を馬鹿にしてしまうようなこともあるかもしれない。あるいは、相手にとって役に立たないような、その場しのぎのごまかしを言うこともあるかもしれない。

上だけ見ると、実に冷たい突き放したような印象だが、その理由づけの文章は実に誠実でまじめで、かつ、本当に本当に質問者のためを思って考えた回答なのだ。そして、質問者を馬鹿にしたり見下したりもしない。的確な役に立つ助言をしてくれる。そして、場合によっては、厳しいが本当のことを言ってくれる。
詳しくは本書を参照。

これぞ、本を読むことの重要性だろうか。現実世界で、こんな立派な態度の人に会う確率はとても低いと思う。

私の場合、つい最近まで、質問に対してこれと真逆の態度をとる上司がいたのですよ。その上司の態度を、自分で勝手に4法則とか4段階とか名づけてましたけどね↓
@まず、相手の質問自体を馬鹿にする。場合によってはキレる。
A質問の問いとは全く関係ない自分の考えを、ながながと語りだす。
B何の関係があるのか意味不明なクイズを出し始める。回答が間違っていると言って、また馬鹿にする。そしてキレる。
C俺は、こんなに一生懸命に答えてやったのにお前は何もわからないのか、と言って馬鹿にする。そしてキレる。

例を出そう。
Q.日本国の首相は?
A.安倍晋三です。(模範解答)

その上司の回答。
@だいたい、一国の総理の名前を知りたいとか、お前はいったいなにを考えているんだ。そんな知識ばかりの頭でっかちだから、だめなんだ。わかってないだろ。それだから、お前は社会で通用しないんだ。
Aオレが若い頃とか、とにかく、明日に向かって、希望に向かって行け!って感じで、がむしゃらに頑張っていた。とにかく、頭を動かすより、体をどんどん動かす、そして結果を出す。
Bこのグローバル社会で何が大事か?答えてみろ。違う違う。全然違いまーす。国際競争で何が重要なのか?違う!そんなのは全然、重要じゃない!そのくらいなんで分からないんだ!常識だろ?全く駄目だなお前は。
Cまったく、オレの貴重な時間をこれだけ無駄にして、なにも学んでないことが、オレにとっては衝撃だな。うん。やっぱり、強い日本を動かしていた世代は、オレの世代で終わったんだ。日本は滅びるな。

ギャグのように聞こえるが、毎度毎度、こんな感じの意味不明の4段階なんですよ。どの質問に対しても。
コイツは私にとっては、精神的な苦痛の種だった。今年の春から職場を変えて、コイツが視界から消えたのは本当に幸せなことだった。もう、二度と、関わる気はありません。

佐藤優先生は、相手の立場になるとか、敵対者であればその内在的論理を知ろうと努力することが重要と仰っている。佐藤先生が、質問者に対してまじめに誠意をもって答えようとするのも、その考えの延長にある。だから、佐藤先生ご自身が、納得がいかないと考える質問に対しても、相手の立場で考えて、助言する。

これは、簡単なようだが、並大抵の努力でできることではない。例えば、私は、いくら考えても、あのバカ上司の4段階の内在的論理が分からない。とにかく、オレは偉い、オレは偉い、格下はクズだ、格下はクズだ、という情念だけはビリビリと感じても、それを構築する論理や背景はまるで分からない。正直、分かる努力もしたくない。

佐藤先生のような人がいて、佐藤先生のような考え方や物事に臨む姿勢があることは本を読まなければ、絶対に分からないことだ。
posted by ペンギン太郎 at 02:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月24日

仕事がない世界。アメリカでは25歳から54歳までの男の6人に1人は働いていない。今後20年で半数の仕事がなくなる。post -workist ってなんですか。

という話。

The Atlantic の

A World Without Work.

という記事を読んだ。The Atlantic の記事を読む前に、New York Times の記事で、不景気だろうが、好景気だろうが、アメリカでは働かない男がどんどんと増えていて、今やその数6人に1人、なのは知っていたし、今後20年で機械化の影響で、現在の仕事のかなりの部分が消滅してしまうことも耳にしたことがあった。

ちなみに、この、「次の20年で、アメリカの仕事の半数は機械ができるようになる」というのはオックスフォード大学の予想だとのこと。

で、この記事の要点だが、仕事がないことが普通になる世界で、いかにすれば、人々はよりよく暮らせるのか、ということがまじめに考察されている。そういうことをまじめに考える人たちをpost-workist というらしい。

読んだ感想だが、アメリカ人というのは実にタフだ。この記事の自分なりのエッセンスは、勝負に勝てなければルールを変えちゃえ、それでも駄目なら、別のゲームをやればいいじゃない、という事。post-workist は、仕事がないなら、仕事なしでも個人が尊厳と目的を持って生きることができる社会をつくればいいじゃない、という。

所得が減って、物が買えなくなった。だったら所有しないで、共有すればいいじゃないか、という発想(と、アメリカ人の実際の行動)をみたときにも驚いたが、将来的に大多数の人間が仕事にありつけない現実を既定路線と考えて、さて、どうする、という考察が成り立つこと自体にも驚きである。

いろいろと考えさせられたが、自分に当てはめてみても、仕事だけが人生じゃないという価値観は容易にはひっくり返らないのだな。根本的な部分では。たとえば、仕事をやめて、ゲームに命をかける、という人がいたら、

あほかいな。

と普通に思う。自分の誤読でなければ、post-workist の言う、仕事が無いのが普通、な世界では、そういう人が、負い目もなく普通にゲームをやりまくってるわけだ。考えてもみよ。30代の男が、仕事をしないでゲームに没頭しているのが、街でよくある光景、な世界を。
機械化で人々は仕事から解放されて、自由な時間を好きなことに費やせる、っていう未来予想は私の子供時代からあるけど、それをリアリティをもって考察すると、絵をしてはどうしてもおバカになってしまうのだ。
そして、その世界での仕事というのも、どこかゲームのような感覚のような印象なのだ。そして、なんだか共産主義の夢の世界を見ているようだ。

自分の感想ばかり書いていて、具体的にこういうことが書いてあった、とは書けない理由なのだが、実は、読んでも読んでも、書いてあることが夢の中のようで、よくわからないのだ。想像がつかない事物を扱った外国語の文章が、どれだけ難しいか思い知った。

さて、個人的な意見。

労働が美徳、ないし必須条件であるという価値観をひっくり返すのは並大抵のことでは無理だ。なぜか。近代社会というのは、集約的な労働とそれが産みだす圧倒的な富の力を通して、身分制度やら封建的な縛りやらを脱して、人々は自由と社会への参加の権利を手に入れた、と私なら考える。

となれば、労働の義務から解放されたとき、それにくっついていた自由も社会への参加の権利もなくなるのでは、と想像する。

つまり、機械化した生産手段を保持している連中が、それを人質にとって貴族化し、それを持たざる者はスティグマを負って下位の階級に貶められるのではないか。そこに政治的な圧力も加われば、それはそれは悲惨な世界が待っていることだろう。

私の言っていることは、半分は皮肉だ。派遣労働者を見るがよい。彼らは、特定の会社に縛られない自由を手に入れているじゃないか。さらに言えば、正規労働者の仕事を免除された、特定の仕事をしないくてもよいことが許された、ある意味では解放身分だ。が、その実態はどうかと言えば、私の口からは出るまでもなかろうがよう。

かつての女性の立場を想像するがよい。確かに、仕事からは解放されていた。しかし、その社会的地位はどうだったでしょうかね。仕事をしているが故に、男性は女性に対して優位だったのではないかしら。

労働からの解放は、ユートピアの出現ではない。陰鬱な階級社会の出現だ。結局、このThe Atlantic の記事はアメリカ人が階級社会を経験してないからが故の、夢の世界なんじゃないかと思う。まったくの個人的な意見だけど。

どうすればいいのか、と提案だが、やっぱり、自由と自分の尊厳のため、おのおのがた、仕事にしがみつけ、としか言えんような。










posted by ペンギン太郎 at 19:22| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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