2016年07月10日

アメリカの議会が学級崩壊してカオス状態でしゅ。大統領選挙もカオス状態。これから政治はカオスが当たり前の時代A



続き。

個人的意見その2。


この著者のエッセイの前半部分についての自分の意見は@で書いた。

後半部分は自分は全く同意できない。意見や視点、レトリックがどーも、高所からのご高説って感じである。ストレートに言うと、そんなに大してありがたくもない、上から目線のご意見をご苦労さん、みたいな。


この記事の著者は、政治における意志決定プロセスから視点を一歩もずらしてはいない。それはそれで結構だが、有権者にとって、本当の問題なのはプロセスではなく結果じゃないのだろうか。


アメリカの現状。15年以上にわたる中東でのろくな成果を上げていない戦争、その結果の財政悪化、教育、医療といった社会インフラの不十分さ、大企業優遇の格差拡大進行、放置され続ける移民問題などなど。

どれもこれも改善点は少なく、むしろ年々と悪化深刻化する一方。政治家は選挙の時だけはこういった問題に取り組むぞ!と宣言するが、当選後に行動をしている気配も見当たらない(「選挙の時だけ移民制限する、貧困対策をするとか言うんじゃねえよ」みたいな)。


国民が従来政党政治の結果に満足しており、正当性を感じていれば、トランプ先生やサンダース先生のような方々の登場も無かったんじゃないのかしら。と

私は思うけど、著者の意見は違うんだな。著者によると、国民が政党政治の複雑さを理解していないのが、いけないんだそうだ。

Hibbing , Theiss-Morseという学者の書いたStealth Democracy : Americans’ Briefs About How Government should Work. という本を参照。要点は25-40%のアメリカ人が政治において譲歩が必要なこと、意義のある対立が存在することも認めない。政治的な解決法はすでにある、後は実行するだけだ。共感できる私利私欲のない意志決定者によってその解決法は実行されるはずだが、腐敗や私利私欲にまみれた連中がその邪魔をしているんだ。こういった認識なんだそうだ。トランプ先生もサンダース先生も、こういった国民意識に訴えることで成功を収めた、という。はーん、そうでございますか。ほおー。へぇー。


後は、アメリカ国民の現状政治へのアンチテーゼとしてのトランプ先生現象も認めてない。以下引用。


In March, a Trump supporter told The New York Times, “I want to see Trump go up there and do damage to the Republican Party.” Another said, “We know who Donald Trump is, and we’re going to use Donald Trump to either take over the G.O.P. or blow it up.” That kind of anti-establishment nihilism deserves no respect or accommodation in American public life.

三月にThe New York Timesにトランプ支持者が語った。「トランプが勝ち抜いて共和党にダメージを与えるのを見たいと思う」 他の支持者は言う。「ドナルド・トランプがどんな人か知っているよ。我々は、ドナルド・トランプを使って共和党を乗っ取って、ブッ壊してやるつもりなんだ」

この種の反体制的なニヒリズムはアメリカの公的な生活の中では、尊敬に値もしないし、置いておく場所もない。


私だったら、このニヒリズムを生んだ要因は何なのか、過去の政治の結果だったり、今の社会状況だったりするのかしら、と考える。(後は、単純に「共和党は恨まれてんなー」とか思うけど。)

著者の意見は違う。「こういう奴らの意見を実際の政治に反映させることが無いようにしろ!!」ということだ。政治的な意志決定プロセスを理解しない、愚かな民の政治的影響を何らかの方法で吸収、解体しないと、通常の政治が取り戻せない!その結果がカオス状態なんだ!


これはこれで一つの意見だと思うけど、やっぱりこれは高所からの意見だと思うぜ。現状への不満の表明だって立派な政治的意志のひとつだ、と自分なら考えるけど。それがニヒリズムの形をとったとはいえ。


そもそも、従来の政治の結果をパスして、カッコに入れて議論を組み立てるのはどうなのよ。今さらだけど。


米国は、政界だけじゃなく、言論空間の分断も深刻なのかしら、というのがまとめの感想。

posted by ペンギン太郎 at 07:26| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アメリカの議会が学級崩壊してカオス状態でしゅ。大統領選挙もカオス状態。これから政治はカオスが当たり前の時代@


という話。

The Atlantic How American Politics Went Insane(こうしてアメリカの政治はおかしくなった)という記事があった。A4で印刷したら28ページもあったぜ。


要点。

アメリカの政界がカオスでしゅ・・・でいいのかしら。

議会では学級崩壊状態。政党内では過激分子や非妥協分子が勝手放題の狼藉三昧。政党間の協力なんて夢のまた夢。建設的な話し合いも無く、決まる物も決まらない。決めるのが難しい案件は絶望的に決まらない。まさにカオスでしゅ。

大統領選挙は見ての通りの前例のないカオス状態でしゅ。

だそうである。


The very term party leaders has become an anachronism. Although Capitol Hill and the campaign trail are miles apart, the breakdown in order in both places reflects the underlying reality that there no longer is any such thing as a party leader. There are only individual actors, pursuing their own political interests and ideological missions willy-nilly, like excited gas molecules in an overheated balloon.

政党指導者という用語自体が時代遅れの物になった。連邦議会議事堂と大統領選挙の現場は距離が遠くはなれているが、どちらの場でも秩序が崩壊している。これは、もう政党指導者なんて者はいない、という本質的な現実を反映している。居るのはただ、自分たちの政治的利得とイデオロギー上の使命を行き当たりばったりに追求する個々の役者だけだ。彼らはまるで過熱した風船の中にいる興奮したガス分子のようだ。

だと。


著者は、昔のアメリカの利権政治、金権政治、密室政治、政党内の年功序列によって、複雑に絡み合う利害が調整され、話し合いと妥協を通して穏健で偏らない政治決定が成された、そして過激分子や非妥協分子が巧妙に排除されてきた、と主張する。これらの前時代的政治システムが腐敗、非民主的と批判され、改革にさらされた。その結果、利害調整はできなくなり、話し合いは進められず、過激分子、非妥協分子が排除できなくなり、物事が絶望的に決まらない、という政界の機能不全に陥った、のだそうだ。そして大統領選では三人のポピュリストが勝ち上がるという前例のない事態になった、という。

・・・わが国の現与党にとっては、大層に魅力的なストーリーかもしれないな。


で、過去の政治改革の内容。

(1)  候補者指名:政党の予備選挙では、候補者を決める場合に政党指導者や上層部の意向、推薦を得た人物がなるとは限らなくなった。それどころか、共和党内では、予備選挙で日の浅い過激分子グループの候補に刺されて重鎮議員が落選する事態になった(2014 Eric Cantor)

(2)  政治と金:候補者、政党な大口献金が禁止された。その結果、説明責任を持たない私秘的な政治資金をプールしている団体が国中にできた。政党がこういた団体の資金力に対抗できなくなりつつある。この記事には直接は乗っていないが、Koch 兄弟という大金持ちが運営しているAmerican For Propensityという団体の意見広告による特定議員の攻撃(2014)などの事を言っていると思われる。

(3)  委員会制度縮小と年功序列廃止:年功序列で運営されていた委員会制が縮小された。その結果、グループやチームで働いていた議員がバラバラの個人に分解された。議員が強調して動くことができなくなり、年功序列も消滅。政党上層部を表立って非難中傷することをなんとも思わない議員まで現れた。テッド・クルズ君はその代表選手。

(4)  密室政治の廃止:透明性を増すために公開義務が生じた結果、政治家同士の微妙な交渉や本音での意見交換、駆け引きが全くできなくなった。

no sane person would have negotiated in full public view.

まともな人間ならば、衆人環視のもとで交渉はしないだろう。

(5)  政治利権の縮小:やりとりされる政治利権が貨幣の役割を果たしていた。その貨幣のやり取りで成り立っていた意見の調整や妥協ができなくなってしまった。要は「お前の選挙区に空港を建ててやるから、この法案に賛成しろ」みたいな取引が出来なくなった。


(1)から(5)までの改革がなされる前に政治的安定をもたらしていた中庸と穏健、過激分子の排除による機構が、改革の結果、機能不全に陥った。共和党は党内にTea Partyという強力かつ制御不能な過激非妥協分子を抱え込み、国民は政治の場での意見対立、妥協、譲歩の必要性を理解せず、政党に依存しなくても知名度や資金を獲得できるインターネットという技術革新も要因となって、議会でも選挙現場でも、政界の秩序は崩壊した。物事は決まらず議会は学級崩壊。トランプ先生、サンダース先生、テッド・クルズ君というポピュリストが大統領選で一番手二番手になるカオスな事態になったという。


The system atomizes. Chaos becomes the new normal−both in campaigns and in the government itself.

システムはアトム化された。カオスが新しい標準になる。選挙戦現場でも、政府そのものの中でも。


まあ、こんな感じである。


個人的な意見。

後、この分析が正しいか正しくないのか、自分には判断できない。

読んでいて思ったが、昔のアメリカの政治は、わが国の自民党の旧来の政治と殆ど、というより全く同じだ。これはどこの自民党の話だろうか、と思いながら読んでいた。

実際、日本国の首相は与党内の意向で決まり、国民参加の余地はない。選挙候補者は、党内の偉い人たちが決めている。政治献金の厳しい規制はない。与党内は年功序列で、与党議員は下っ端からボスまでいるグループ所属は必須。大事な案件は料亭とかの密室で決まる。利権のやり取りを通して、物事が進行していく。(異論はあるかしら。)

しかし、確かにわが国には政治家の中で、過激分子が世間にアピールして名を売る事も広い支持を集める事も無い。物事が決まらないまま議会の進行が停止して学級崩壊になることも無い。ポピュリストの煽動で、重大な案件が決まってしまうこともない。トランプ先生、サンダース先生のような人物が登場する可能性も限りなく、限りなーく、ゼロに近いだろう。先進国の中では、異例な程に政治が安定しているのも事実ではある。


で、これまで、わが国で提案された政治改革案もこれまた(1)-(5)までと似たり寄ったりだぜ。となると、類推としては、これらの改革の行く末は、今現在、アメリカで可視化されている、議会も選挙も混乱した、あのカオス状態であるわけだ。

改革する前から、残念なことだが、残念な結論が既にでているわけだ。

これは本当なのかなあ、と。


現与党関係者は必読のエッセイかもしれないな。自民党政治を直接ではないとは言え、ここまで礼賛した文章を英語で読む機会なんてなかなか無いことだぜ。


posted by ペンギン太郎 at 07:24| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月24日

仕事がない世界。アメリカでは25歳から54歳までの男の6人に1人は働いていない。今後20年で半数の仕事がなくなる。post -workist ってなんですか。

という話。

The Atlantic の

A World Without Work.

という記事を読んだ。The Atlantic の記事を読む前に、New York Times の記事で、不景気だろうが、好景気だろうが、アメリカでは働かない男がどんどんと増えていて、今やその数6人に1人、なのは知っていたし、今後20年で機械化の影響で、現在の仕事のかなりの部分が消滅してしまうことも耳にしたことがあった。

ちなみに、この、「次の20年で、アメリカの仕事の半数は機械ができるようになる」というのはオックスフォード大学の予想だとのこと。

で、この記事の要点だが、仕事がないことが普通になる世界で、いかにすれば、人々はよりよく暮らせるのか、ということがまじめに考察されている。そういうことをまじめに考える人たちをpost-workist というらしい。

読んだ感想だが、アメリカ人というのは実にタフだ。この記事の自分なりのエッセンスは、勝負に勝てなければルールを変えちゃえ、それでも駄目なら、別のゲームをやればいいじゃない、という事。post-workist は、仕事がないなら、仕事なしでも個人が尊厳と目的を持って生きることができる社会をつくればいいじゃない、という。

所得が減って、物が買えなくなった。だったら所有しないで、共有すればいいじゃないか、という発想(と、アメリカ人の実際の行動)をみたときにも驚いたが、将来的に大多数の人間が仕事にありつけない現実を既定路線と考えて、さて、どうする、という考察が成り立つこと自体にも驚きである。

いろいろと考えさせられたが、自分に当てはめてみても、仕事だけが人生じゃないという価値観は容易にはひっくり返らないのだな。根本的な部分では。たとえば、仕事をやめて、ゲームに命をかける、という人がいたら、

あほかいな。

と普通に思う。自分の誤読でなければ、post-workist の言う、仕事が無いのが普通、な世界では、そういう人が、負い目もなく普通にゲームをやりまくってるわけだ。考えてもみよ。30代の男が、仕事をしないでゲームに没頭しているのが、街でよくある光景、な世界を。
機械化で人々は仕事から解放されて、自由な時間を好きなことに費やせる、っていう未来予想は私の子供時代からあるけど、それをリアリティをもって考察すると、絵をしてはどうしてもおバカになってしまうのだ。
そして、その世界での仕事というのも、どこかゲームのような感覚のような印象なのだ。そして、なんだか共産主義の夢の世界を見ているようだ。

自分の感想ばかり書いていて、具体的にこういうことが書いてあった、とは書けない理由なのだが、実は、読んでも読んでも、書いてあることが夢の中のようで、よくわからないのだ。想像がつかない事物を扱った外国語の文章が、どれだけ難しいか思い知った。

さて、個人的な意見。

労働が美徳、ないし必須条件であるという価値観をひっくり返すのは並大抵のことでは無理だ。なぜか。近代社会というのは、集約的な労働とそれが産みだす圧倒的な富の力を通して、身分制度やら封建的な縛りやらを脱して、人々は自由と社会への参加の権利を手に入れた、と私なら考える。

となれば、労働の義務から解放されたとき、それにくっついていた自由も社会への参加の権利もなくなるのでは、と想像する。

つまり、機械化した生産手段を保持している連中が、それを人質にとって貴族化し、それを持たざる者はスティグマを負って下位の階級に貶められるのではないか。そこに政治的な圧力も加われば、それはそれは悲惨な世界が待っていることだろう。

私の言っていることは、半分は皮肉だ。派遣労働者を見るがよい。彼らは、特定の会社に縛られない自由を手に入れているじゃないか。さらに言えば、正規労働者の仕事を免除された、特定の仕事をしないくてもよいことが許された、ある意味では解放身分だ。が、その実態はどうかと言えば、私の口からは出るまでもなかろうがよう。

かつての女性の立場を想像するがよい。確かに、仕事からは解放されていた。しかし、その社会的地位はどうだったでしょうかね。仕事をしているが故に、男性は女性に対して優位だったのではないかしら。

労働からの解放は、ユートピアの出現ではない。陰鬱な階級社会の出現だ。結局、このThe Atlantic の記事はアメリカ人が階級社会を経験してないからが故の、夢の世界なんじゃないかと思う。まったくの個人的な意見だけど。

どうすればいいのか、と提案だが、やっぱり、自由と自分の尊厳のため、おのおのがた、仕事にしがみつけ、としか言えんような。










posted by ペンギン太郎 at 19:22| Comment(0) | 英語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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